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大阪地方裁判所 昭和27年(ワ)2863号 判決

原告 浜惣太郎

被告 株式会社躍仙堂 外一名

主文

被告等は連帯して、原告に対し金六万千三百十円及びこれに対する昭和二十七年八月七日から右支払ずみまで年五分の金員の支払をせよ。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを八分して、その一を被告等の連帯負担、その余を原告の負担とする。

事  実〈省略〉

理由

原告主張の日時場所において原告の操縦する自転車が被告高石の操縦中の自転車と衝突し、そのため原告が負傷した事実は、当事者間に争がない。しかして、成立に争ない甲第八号証及び同号証により成立を認め得る甲第一号証によると、右負傷は右大腿骨頸部皮下骨折及び右大腿部打撲傷であつて、原告は昭和二十七年七月十五日受傷の当日より大阪回生病院に入院加療し、同年九月二十八日略治退院したが、結局右下肢は左下肢より二・五糎短くなつて跛行を免れず、股関節の外転範囲も左脚に比べて五度少く、長距離の歩行や長時間の起立には困難を覚える等の機能障害を残すに至つたことを認めるに足りる。

そこで、右衝突事故が被告高石の過失に起因するものであるかどうか審べてみるのに、成立に争ない甲第二、三、四及び第七号証と原告及び被告高石各本人尋問の結果並びに検証の結果を綜合すれば、次のように認められる。事故現場は、堂島川北岸に沿う天満警察署前の道路と鉾流橋を経て中央公会堂に至る道路とが南北に交叉する地点で、付近に官庁、病院、ビルデイング等があるため、昼間における自動車等の交通量はかなり多いが、信号機その他による交通整理は行われておらず、交叉点の東南・西北の両隅に「一時停止」と書いた標識板を掲示してあるにすぎない。被告高石は右警察署前の道路を西に向い進んで来て丁度交叉点に入ろうとする辺りで約一米左側に並行して進んでいた原告(当六十三才)を追いこし、そのまま鉾流橋の方に曲ろうとして原告の右斜前方約二米位のところでハンドルを左にきり、原告の進行する前面を横切つたところ、自分の自転車の後車輪が前進してきた原告の自転車の前車輪と丁字型に接触衝突し、双方とも自転車もろとも舗装路上に横転した。その際原告は、自分が自転車の後方に積載していたサンエチール二鑵重量約八貫に右脚を下敷にされ、前記のような傷害を受けるに至つた。ところで自転車を操縦し上記のような交叉点で左折しようとする場合には、本来標識板に従い一旦停車して安全を確かめた後発車すべきであり、よしそれを怠つたにせよ、本件のように直後に追従してくる自転車を認めた場合には、徐行して後車をやり過すか、又は警音器、かけ声、手の合図等により左折しようとすることを警告することが、後車との衝突を未然に防止するため欠くべからざる措置といわなければならない。しかるに被告高石は、なんら右のような措置をとることなく、原告を追いぬきざまその前面で急拠左に方向を転じたものであつて、本件事故は、被告高石が自転車操縦者として要求される交通安全上の注意義務を怠つた過失に起因することは、明らかである。右事故が専ら原告の過失によつて生じたという被告の主張は認め難く、また原告の自転車が相当重量の荷物を積載していたことは被告高石において追尾中これに気付いていたはずであるばかりでなく、荷物を積んでいない自転車相互の衝突の場合でも、転倒の仕方いかんにより骨折程度の傷害を生ずることは稀有なことといえないから、本件傷害の結果が被告高石の予見しない特別損害であるという被告の主張も、容れるわけにゆかない。双方本人の供述中右認定と合わない部分は、措信しない。

しかしながら、本件事故、ことに原告が右大腿骨骨折のような大きな傷害を受けたことについては、原告自身にも一半の責任があるといわなければならない。右骨折が原告が積載していたサンエチール二鑵約八貫目に右脚を下敷にされたため生じたものであることは前認定の通りであるが、そもそも右物件は普通の自転車の後方に積載する荷物としては過重に失し、車体の安定を失い易いことは見易い道理であり、さらに操縦者たる原告自身六十三才の老人であること(運動神経も当然衰え、受傷の場合の恢復力も弱いであろう。)に思いを致せば、通常の自転車乗用の場合に比しその操縦に一層の慎重を期すべく、前記交叉点を通過するに際しては、「一時停止」の交通標識を厳守し、一旦停車して左右を注視し、安全を見極めて然る後通過すべきであつた。にもかかわらず、原告は自転車を停めないで左方を注視しながら交叉点内に進入し、次いで眼を前方に転じたときは、すでに被告高石の自転車が直前にあり、そのまま自分の前車輪を相手の後車輪に接触させ、自転車とも右側に横転した。甲第二ないし第四号証及び甲第七号証に被告本人の供述を綜合してかように認められるのであつて、右認定に反する原告の供述部分は、たやすく信用できない。被告高石がいかに不注意であつたにせよ、原告として、僅かの接触によつても転倒の危険が大きいことを慮り、前記停車の措置を怠らなかつたならば、本件のような事故は未然に避けられたものというべく、結局右事故による原告傷害の結果は、双方の側に存する不注意の過失が競合して生じたものと認められるから、本件損害賠償の額を定めるに当つて、被害者たる原告の右過失は、当然斟酌されて然るべきものである。

次に、被告株式会社躍仙堂の責任について按ずるに、被告高石が被告会社に勤務する者であることは、当事者間に争がなく、本件事故は、被告高石において文具商たる被告会社のため取引先に注文とりに廻つていた途中に惹起したものであることは、右高石本人の供述によつて明らかであるから、選任監督の点について免責事由がない以上、被告会社は、被用者たる被告高石が過失により原告に加えた損害に対し同人と連帯の賠償義務を免れない。被告会社は、右免責の理由として、被告高石は多年自転車操縦の経験を有し、その間事故を起したことがなく、かような者に対して通常の交通知識や簡単な自転車操縦技術につきもはや注意を与えるまでもないから、選任監督を問題にする余地すらないと主張するけれども、被告高石の供述によれば、同人は自転車操縦者として当然心得ておかなければならない手の合図に関する規定(道路交通取締法施行令第三十六条)の如きも知らなかつたことが認められ、市街地ことに本件現場のような街路を自転車で往来するには、自転車操縦の技能経験ばかりでなく自転車交通取締法規に関する知識をも備えていなければ無事故を保し難いこというをまたないところであるから、平常使用人をして自転車乗用の業務に従事させている者は、右の点に留意し、折にふれ使用人に対し必要な交通法規の内容を徹底しその違反を戒めるよう心掛くべきであつて、被告会社として少くとも監督上の注意義務を尽したものとは認め難いから、右被告会社の主張は採用できない。

そこで、損害賠償の額について審究する。

(一)  前出甲第一及び第八号証により、成立を認め得る甲第六号証の一ないし九によれば、本件傷害の治療のため金二万二千六百二十円の入院費を要したことを認めるに足り、右費用を原告の雇主である訴外株式会社本田ブランケツト製作所において立替支払したことは原告の自供するところであるが、結局右金額は原告より同会社に償還を要するものと解されるから、右入院費用をもつて原告が本件傷害により受けた財産上の損害というに妨げない。被告等は、なお治療雑費として金三万円余を支出したと主張するが、その事実を確認し得る証拠はない。しかして、右損害のうち被告等の賠償すべき額は、前記原告側の過失につき民法第七百二十二条第二項の規定を適用し、その半額金一万千三百十円と定めるを相当とする。

(二)  本件傷害の結果、原告は老齢の身に前記のような終生不治と認められる機能障害を生じ、その精神的苦痛に相当深刻なものがあることは、これを推察するに難くない。しかしながら、かような事態に立ちいたつたことについては、原告自身も一半の責を負うべきものであることは前判示の通りであり、その他本件証拠資料に顕われた諸般の事情をも考慮した上、右精神的損害に対する慰藉料の額は、金五万円をもつて相当と認める。

(三)  原告はさらに、従来の月収金八千円のところ身体障害により毎月金四千円の減収を免れないとして、将来十年間の得べかりし収益の喪失額をホフマン式計算法により算出し、その内金二十四万二千七百円の損害賠償を求めているが、証人本田八郎の証言によれば、原告は前記本田プランケツト製作所に長年布地塗装及び研磨工員として勤務し月給八千円を支給され、本件傷害を受けてから以後は右工員として就労が困難のため雑役に従事するようになつたが、本田ブランケツト製作所としては、原告長年の労に酬いるため従来通りの月給を支給し、将来も原告を解雇する意思がない事実を認められるので、本件傷害により現在まで月収が減じたこともなく今後も減少する虞はない(原告につきいわゆる生産年齢をも考え合わせて)ものと判断されるから、右損害を前提とする賠償請求は失当である。

以上の次第で、原告の本訴請求は、被告等に対し連帯して、入院費用中金一万千三百十円及び慰藉料金五万円合計金六万千三百十円及びこれに対する不法行為後の昭和二十七年八月七日から右支払ずみまで民法所定の年五分の遅延損害金の支払を求める限度において正当であるからこれを認容し、その余は棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条、第九十三条を適用して、主文の通り判決する。

(裁判官 橘喬)

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